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チャンホーパンク 元プロ野球選手 ドジャース 朴 賛浩は、大韓民国忠清南道公州市出身の元プロ野球選手。韓国人初のメジャーリーガーである。 プロ入り前 高校時代はトーナメントでMVPを獲得するなど活躍した。大学生として臨んだ1993年のアジア野球選手権大会では韓国代表に選出され、チームの銀メダルに貢献した。また、同年のユニバーシアードでもチームを銀メダルに導いた。 漢陽大學校の2年生だった1994年にロサンゼルス・ドジャースと契約、大学を中退して渡米した。 ドジャース時代 1994年4月8日にアトランタ・ブレーブス戦でリリーフとして登板し、1イニングを投げてメジャーデビューを果たした。その後、シーズンのほとんどをAAで先発として過ごした。 1995年はAAA級アルバカーキでは22試合に先発し6勝7敗、防御率4.91、WHIP1.53を喫するが、奪三振率8.26を記録し「ドジャースで来年もっとも期待できる選手」に選ばれた。シーズン終盤の10月1日にはサンディエゴ・パドレス戦でメジャー初先発を果たした。 1996年にはリリーフと谷間の先発要員として、本格的にメジャーに定着した。メジャー初勝利および初先発勝利を含む5勝を上げてアクティブロースターに定着。この年のディビジョンシリーズでは出場者ロースターに登録されたが、投手陣で唯一出場のチャンスに恵まれなかった。 1997年は、開幕から先発5番手としてローテーションに定着、自身初の二桁となる14勝を挙げ、野茂英雄とともにチームの最多勝投手になる。 1998年も15勝をあげ、バンコクアジア大会では韓国代表として出場、決勝の日本戦で完投勝利し金メダルの獲得に貢献。兵役免除を手にしている。1997年から2年連続10勝以上をあげて、先発ローテーション投手として定着した。 現役引退後 2014年7月18日、光州起亜チャンピオンズフィールドでの韓国プロ野球オールスター戦で引退セレモニーが実施された。 2015年1月18日、アメリカのプロ野球スカウト財団は、朴賛浩と野茂英雄に「先駆者賞」を授与し、大リーグの国際化に果たした功績を称えた。
文化財保護法の改正とその課題