文化遺産の未来のために
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- 2022.4.11 UPDATE コラムを公開しました~『謎の海洋王国ディルムン』を掘る
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毎度ありがとうございます。図書館除籍本につき読書用とお考え下さい。この他にも小説、思想書、人文書、エンタメ、SF、ミステリ、古雑誌など出品しております。 #202112 【内容紹介】 20年の歳月をかけてヒロシマ、ナガサキ、ビキニの被害者2000人を訪ね、1000余人の語りを録音、全国の図書館等944施設に13,600巻のテープを寄贈。伊藤氏がほとんど独力で成しとげたこの圧倒的作業の中からおのずと結晶した作品。 第1部 おくれて来た少年(母と娘の記/達志観音のものがたり/アンタレスの星の下で/にんげんを返せ/「加爆ジョージ」、ザベルカ/八月六日のむこう側、八月九日のむこう側/刀自のそのご/ボタ山のかげで)/第2部 原子野の『ヨブ記』(二一世紀の「抑止力」)/『屋根の上のサワン』『或る「小倉日記」伝』 伊藤 明彦(1936年11月5日 - 2009年3月3日)は、日本のジャーナリスト。原子爆弾被爆証言取材の第一人者であり、「被爆者の声を記録する会」の代表を務めた。早稲田大学第一文学部卒。1936年 東京都生まれ。本籍地、山口県宇部市。1944年長崎市に転居。1945年、長崎市にて「入市被爆」、当時8歳。1960~1970年 長崎放送に勤務。1968年から業務として被爆者の声の取材をはじめる。同放送局を退職し、自費による被爆証言取材活動を続ける。音声証言収録者数は、1,003名。1982~1992年 取材証言をまとめた録音構成『被爆を語る』のオープンリール/カセットテープを各地の資料館や図書館に寄贈。「被爆者の声」にて聴取可能。2001年 第7回 平和・協同ジャーナリスト基金 基金賞 受賞。2001年 シチズン・オブ・ザ・イヤー 受賞。2006年、取材証言をまとめたCD作品『ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない』を各地の資料館や図書館に寄贈。2006年 第49回 日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 特別賞受賞。2006年11月~2009年1月 ビデオによる被爆証言取材活動を行う。2007年 第2009年 3月3日、肺炎により東京都内の病院で死亡。享年72。 #戦争の本 #原子爆弾 #そるてぃ書店 #原爆 #長崎県の本 #モノクロの本棚 #太平洋戦争 #第二次世界大戦 #長崎県
文化財保護法の改正とその課題